第7 回リジッド世界選手権(HG) in マケドニア報告 (山本)
開催地はマケドニア共和国のクルシェボ、パラではワールドカップが開催されています。南北約100Km、東西30Kmの細長い盆地で、なかは海抜600m の乾燥した畑が広がって
います。盆地の南側1/3 はギリシャで、国境までの北側70Kmと、その西側の山岳地で行われます。
テイクオフは盆地の北西部にあり、東向きでとても広々としています。すぐ山の下にはこれまた広大なメインランディングがあります。日本チームの構成は、丹沢から参加の松田・山本と、足尾から参加の太田・板垣の4選手、それにドライバー1 名の5 人でした。
チームの目標は板垣選手の優勝と、チーム戦でのメダル獲得。引退試合になる自分は10 位入賞、世界選初参加の松田選手は最終日まで安全に飛びきることが目標です。
私は仕事の関係で大会直前のマケドニア入りにさせてもらったのですが、他のメンバーは1週間前にメーカーのあるドイツへ入国し、固定翼4機を山積みして1600Kmの道のりを24時間かけて移動しました。競技は日本を出発した時から始まっているのです。
7 月16 日(土) マケドニア到着
悠々マケドニア入りさせてもらった私ですが、2 つ預けた手荷物のうち、よりによってハーネスバックが出てきません。真夜中の空港オフィスでロストバゲッジの手続きをして、迎えに来てくれたチームメンバーと再会。1~2 日で受け取れるだろうと思い、空港までどうやって取りに来るかを考えていました。
7 月17(日) 選手登録・開会式
ヘルメットやGPS のチェックがあるのですが、荷物が届いていない私はその旨を役員に伝えると、役員のクラウディアが色々アドバイスをくれました。空港からは見つかったらホテルに発送すると返事が来ましたが、明日までにホテルに届くことを祈るばかりです。
夕方から開会式が行われました。ホテルから町の中央広場まで日の丸とともにパレードし、セレモニーの後に地元の子供たちによる民族舞踊や、楽団の音楽が披露されました。そのあとはバーベキュー、腹ペコの選手達が群がります。パンに炭火で焼いたソーセージや串肉を挟んでくれて、野菜はセルフで挟み放題です。んー、でも肉がちょっと生焼け?
7 月18(月)公式練習日
本番と同じように練習タスクを組んでフライトします。私はホテルに残り、チームメートに借りたGPS バリオと無線機を自分用の設定に変更します。ヘルメットとハーネスはクラウディアが探してくれることになりました。そのあとは機体を組んで各種確認と調整を行います。そんななか、板垣選手が飛ばずにホテルに戻ってきました。
昨夜のBBQ による食あたりと思われ、脱水症状になっています。夕方、一緒に病院に行って注射と点滴を受けました。明日の競技に参加できるかは微妙です。
7 月19 日(火) Task1
板垣選手はまだかなり辛そうですが、何とか飛ぶことはできそうです。私もハーネスとメットを手配してもらえ、フライト可能になりました。天気は薄曇りなうえに山を舐める強めの北風で、85km のショートタスクが組まれます。渋い中ゲートオープンし、多くの選手がぶっ飛び、日本チームも全滅です。
ホテルに戻ってふて寝しようと思っていたら、リフライト可能という情報を得て大慌て。テイクオフに着いたのはゲートクローズ20 分前。全員で板垣選手の機体だけ組み、送り出します。サーマル売り切れでゴールできなかったものの、リフライト組では断トツの距離を飛んで7位とナイスリカバリーです。ろくに食事もとれず本当はフラフラなのに流石です。
7 月20 日(水) Task2
すっきり晴れ、昨日より長い115kmのタスクが組まれます。今日も北風なのに最初のターンポイント(以下TP)が北の山にあるので、向かい風でシンク帯を進む必要がありツライ。スタート直前に低くなって、松田選手と一緒にもがきながら進みます。なんとか1st TP を取ったあとはフォローのレグでサーマルも良く気分上々。西の山で一度低くなるもその先の谷の真ん中で+3m/s を捕まえて、11 番目にゴール。ゴールの数100m手前に1機降りてると思ったら、なんとそれは板垣選手。終始先頭を飛んで、引き込んでファイナルグライド入ったらショートしたらしい。幸い時間計測ラインは越えられたので点数は4 位になりましたが、夕食のチームミーティングでは反省文提出が言い渡されました(笑)。
7 月21 日(木) Task3
条件が良くなり150km のタスク。スタートシリンダーの設定がトリッキーで、スタート前にリスクを取って平地を東に進むとフライト距離をかなり短くできてしまいます。
多くの選手はリスクを避けてスタートしたようですが、私は少しだけ平地に出て、1 サーマル分有利な位置からスタートに成功します。一人で順調に飛び続けて、100Km超えたあたりで超速い4 機に追いつかれます。その一人が板垣選手で、集団を振り切ってゴール。しかしウォルフィ(オーストリア)がかなり先でスタートして、20 分以上前にゴールしていました。よって板垣選手は2 番目、私は7 番目、太田選手も11 番目にゴール。松田選手は75Km飛びました。
総合では、板垣選手が2 番、山本は12 番。チーム戦は上からオーストリア、ドイツ、日本の順、まだ点差は少なくさらに上位を狙えそうです。
7 月22 日(金) Task4
ハーネスは今だ見つかりません。どこにあるか不明ということ。空港オフィスには内容物リストを送ったり、保険について調べたり、夜なべの仕事に睡眠時間を奪われてしまいます。今日のタスクは127Km、後半風が強くなる予報。スタートまでに高く上がれず置いて行かれ、中途半端に平地に出て、山からの吹きおろしにやられて40Kmで降りてしまいました。
ウォルフィが連続トップゴールし、前回王者のティムは2 位、3位クリストファー(オーストリア)で、板垣選手は4番。この4人の速さは別格です。松田選手が初ゴール、やったね!
7 月23 日(土) Task5
前日と似たルートで150Kmのタスク。ピンチの時は慎重に飛んでゴールにたどり着くも遅く、総合19位まで落ちてしまいました。いよいよスイッチの入ったティムがトップゴールを決めて、3 着の板垣選手との総合順位が入れ替わります。夜、空港オフィスから荷物が到着したという連絡がありました!! しかし、税関で止められていて発送できないとのこと。むむ?毎日心配してくれたクラウディアも喜んでくれて、明後日はレストデーになるから取りに行けるよ、と教えてくれました。
7 月24 日(日) Task6
最高のコンディションということで、盆地外にある2400m の山と、ギリシャ国境の山を取ってプリレプ空港に戻ってくる190Kmのビッグタスク。しかしスタート直後はやや渋め。先頭グループを追いかけて無理やり尾根を越えて盆地の外側のこぼれたものの、狭いサブラン以外は全く降ろせない狭い谷で必死の上げ直し、変な汗がでてきます。尾根をいくつか超えてTask2 でも良く上がった谷にこぼれ、対地200m からの+3m/s ヒットで雲底3000m。ここからペースが上がり、見えてる先行機全部抜いてギリシャ国境のTP を取ります。しかし最後はサーマル売り切れで25Km ショートの13 位。板垣選手はまさか(またか!の?)の100m ショートで4 位。松田選手は55Km飛びました。ティムが連続1000 点で首位に浮上。
7 月25 日(月) レストデー
6連続成立したので、ルールによりレストデーとなります。空港で無事ハーネスバッグをピックアップ。板垣選手に「超かっこ悪いからどんなに遠くても識別できる」とほめてもらった(?)ハーネスともついにお別れです。その後は首都スコピエ観光。駐車スペースの使い方が分からず、まぁいっかと観光して戻ってきたら、車が無い!! 優しい地元の方に助けてもらい、タクシーで警察に行って車を引き取りました。携帯でショートメッセージ送ればよかったらしい、勉強になりました。
7 月26 日(火) 雷雨予報でキャンセル
浴場や円形競技場があるビトラへ遺跡観光に行きました。床のモザイク画だけはNG ですが、紀元前の塀の上は自由に歩いてよいという見学スタイルが斬新でした。
7 月27 日(水) Task7
まだ大気不安定ながら、117Km のショートタスクが組まれます。久しぶりにスタートが決まったのに1st TP で低くなって先頭集団から遅れてしまいます。何とか復活し渋くなっていたプリレプで先行機に追いつきますが、GPS がロストしてしまいTP の位置が分かりません。衛星補足したときにTP を取っていると勘違いして弱いサーマルから出てしまい、そのままランディング。先頭を飛んでいた板垣選手もプリレプで無念のランディング。日本チームでは太田選手が唯一ゴール。
総合は上から、ティム、ウォルフィ、クリストファーで、板垣選手は4 位に転落してしまいました。チーム3 位は変わらずですが、追い付けない点差になってしまいました。
7 月28 日(木) Task8
板垣選手の腹痛が再発、ほとんど朝食を食べられません。タスクは雷雲を避けて平地中心の127Km。この数本いいところ無しなので、気持ちを切り替えてレースに臨みます。集団
でスタートし、弱いサーマルを一人だけスキップして次の雲で+3m にヒットし、単独トップでレースを引っ張ります。2nd TPの手前でティムとウォルフィにぶち抜かれましたが、テイクオフに戻ってくると低くなったティムが見えます。そして自分も対地200mになり、リジッド4機とPG3機でサーマル育てて何とか7 位でゴール。板垣選手はしっかり4 位でゴール、動けないほど疲れていましたが、万一に備えて持って飛んだ着替えのズボンは使わずに済んだようです。
競技はあと1日。上位4人の順位は変わらず、私は16位まで回復。チームは3 位をキープです。
7 月29 日(金) Task9
今日も雷雲を避けた117Km の平地タスク。スタート前に上がらず、平地で上がると腹をくくって低いままスタート。対地200mから想定通り上げ直して、2nd TP で先頭のティムに追いつきます。しばらく並走したのに自分だけまた対地300m。迷走ののち復活。その後は順調にコマを進め、2600mからファイナルグライドのつもりが大シンクにつかまり、高度が足りない。ゴールと反対に3Km も飛んで、今度は十分な高度を取って6 位でゴール。松田選手も久しぶりにゴール。板垣選手は胃痙攣で苦しみながら30Kmで着陸。2 位だったウォルフィも50Km でボムアウト。上位陣の順位が入れ替わる波乱の最終日となりました。
9 本の競技を終え、個人はティムが連覇、2 位クリストファー、3 位ウォルフィ。板垣選手は6 位、私は15 位となりました。チームは優勝オーストリア、2 位ドイツで、日本は目標通り銅メダルを獲得しました。表彰台からの光景は格別で、自分の競技活動の良い締めくくりになりました。
個人成績は振るいませんでしたが、終始自分らしいフライトができ、悔いはありません。